気持ちが熱いうちにこの記事を書いておく。
コロナで保育園が自主登園になった。
登園するかどうかの判断は任せる、ということなんだけど、つまるところは登園を自粛してくれということだ。
県としてはそこまで多くなかった感染者も突然増えていって、やはり親としては子どもを通わせるのは不安になってしまう。とはいえ、保育園以外でもらってくる可能性も全然あるわけで。
うーん、うーん、と悩んだ末に、登園は自粛することにした。
私は個人事業主でお家でパソコンを使って仕事をしているので、家で子どもを見ながら仕事をすることは可能。
…とでも思ったかい??
子どもを見ながら仕事をするって、みんなできてんの???笑
仕事していても頻繁に子に呼ばれるし、目を離すことにそもそも抵抗がある。怪我などの心配もあるし。器用でもないので、どうしてもどっちか1つで精一杯になる。考えれば考えるほどに、仕事をしながらというのは「子どもを見ている」とはいえないのではないか、とか思えてくる。子どもが何かに集中しているうちに…とも思うんだけど、放置しているようで罪悪感もでてくる。
というか、大人しく1人で安全に遊んでてくれる子ってどれくらいいるんだろう。うちの子のようにアンパンマンなどの動画をほぼ1日中見させ続けることになってるのかな。こうしてうちの娘の場合、自粛期間のうちにYouTubeへの依存が増してしまった気がする。自分の体調もイマイチで、なかなかお外へ連れていってあげられないのが心苦しい。
そしてもう一つ深刻な問題があった。
それは私の気持ち的な問題である。
同じようにお家に引きこもっている人は割と共感してもらえるかなと思うけど、毎日が単調になってしまって、気持ちが沈みがちに。元々家にいるのは大好きだし、人に会うのもそんな好きってほどでもないのでいいやってタイプなんだけど、それでも塞ぎ込みがちに。冬で日が短いとか寒いとかも関係してるのかな。
妊娠中で体調がイマイチなこともあって、どんどん、どんどん心が暗くなり、動きたくなくなっていった。
なんもしたくない。SNSやニュースも暗い話が目に留まって見ているのが苦痛になっていった。
唯一の救いは、夫が明るいことだろうか。
転職前は相当ひどい状態だった夫だが、最近は前の優しさや明るさを取り戻しつつあり、出産に向けて家事育児に以前より取り組んでくれている。私が気持ちが沈んでいることに寄り添ってくれ、一緒にいると面白い。夫婦になってよかったと久しぶりに実感した。
それで、娘が寝ている間とかに仕事をするんだけど、どんどん、どんどん溜まっていき。
気持ちもどんどん、どんどん沈んでいき。
疲れもどんどん、どんどん溜まっていった。
自粛を始めてから、気がつけばもう1ヶ月近くなっていた。
一旦仕事をどうにかするために、久しぶりに娘を登園させることにした。
送迎が苦痛で胃が痛くなった。
送っていく、迎えにいくとなると、それはそれは面倒に感じて家から出たくなかった。
とっても複雑な心境であった。
久しぶりに外に出ると、空気が新しく感じた。
その日はいつもよりちょっと暖かかった。
そして久しぶりに保育園の先生と話した。
ずっとお家で大変でしたね、久しぶり〜と話してくれる先生方。
正直、いつも夫くらいしか話す人がいないので、いろいろ話してくれる先生方に本当にありがたく思っている。
間違いなく気分転換になっているし、育児の相談をするのも先生なので、いろいろ話を聞いてくれると本当に嬉しいと常々思っている。
それに、感染対策も難しく大変な状況の中で、出勤し続けてくれていることに感謝しかない。
帰りに迎えにいった時も、娘ちゃんお利口でしたよー、ちゃんとトイレ行きましたよー、とか教えてくれて。
自分以外にも娘を見てくれている存在がいることのありがたさを改めて感じた。
あと、1番嬉しかったのが、前通っていた児童支援センターの先生が私に気づいて話しかけてくれたことだ。
「〇〇さんじゃない!?」って気さくに話しかけてくれて。
自分が気さくに話しかけられない人間なので、会うと声かけてくれて気にかけてくれる人っていうのは貴重で素敵だなっていつも思う。
最近こうなんですよ、とか、また来てね、とかちょっと話しただけでだいぶ気持ちが違う。
引っ越してきてお友だちもいないから。
家にずっといるだけだとどんどん閉じこもっていってしまうのかな。
性格的にお外に出るとそれだけで疲れちゃうところがあるんだけど、育児や家事に追われて家に籠っていると気がつかないうちに自分がいっぱいいっぱいになっていってしまうことが多いことにもう気づいている。子が生まれて最初の頃とか、子どもが可愛いのに一緒にずっといることで疲れてるわけないって思いたかったくらいだけど、やっぱり何事も一人では限界がある。夫が協力的であったとしても、夫婦では抱えきれないこともある。だから、手を差し伸べてくれる存在への感謝を忘れずに、そして周りの人に頼ることも意地にならずにさせていただきたい、よろしくお願いします、と思った。
私もさ。子どもが大きくなったとき、幼い子を連れた人を見かけたら、何かできるだろうか。
自分がしてもらったように、何かできるだろうか。
今してもらったことや、何が嬉しかったか、そういうことを忘れずにいたい。